2023年6月19日 / 店舗の紹介
グラスフィッター物語
はじめまして。神戸三田の地にある眼鏡セレクトショップグラスフィッターササダの徳永と申します。
恥ずかしいお話ですが少しでも私のことを知って頂きたくこれまでのことをお話したいと思います。少々長いですが、もしもよろしければお付き合い下さい。
大学卒業を目前に進路指導室で私は途方に暮れていました。
自分にはどんな仕事が向いているのか?
そもそも自分は何がしたいのか?
まだ当時の私には見当もつきませんでした。
何となくカッコイイからと広告代理店を調べてみたり、やっぱり食品関係が堅いかなと思ってみたり。
そんな中、たまたま開いたページに日本最大の眼鏡チェーン店が紹介されていました。
何となく、本当に何となく私はその会社を訪問先リストに入れていました。
その後、あっけなくその会社から内定通知が届き気がついたら賑やかな街にあるメガネ店の片隅でメガネを拭いていました。
特に好きでもない物を売るつまらない日々。
毎日毎日ミスの連続で上司には叱られてばかり。
自分にはもっと他に向いている仕事があるはず。
帰りの電車では就職情報誌が愛読書でした。
そうです。当時の私はどうしようもないダメ社員でした。
結局辞める勇気すらなく少しづつ仕事を覚え、やがて後輩ができて少しは社会人ぽくなり始めたある日、学生時代の友人に
「どうしてもオマエに会わせたい人がいる。」
と言われました。
友人に紹介されたのは小さな眼鏡ショップを開店したばかりの若いオーナーさんでした。
初対面なのに不思議な懐かしさを感じました。
それが現在の佐々田オーナーでした。
初めて会った日の会話で佐々田の言葉に私は衝撃を受けました。
「メガネって面白いよな!」
私はそれまでメガネが面白いと思ったことが一度もなかったからです。
「この仕事って楽しいよな!」
値切られてばかりのこの仕事、正直言って好きではありませんでした。
「小さい会社だけど、うちへ来ないか?」
好きな仕事では無いけれど安定した大手を辞める勇気は全くありませんでした。
でも、このまま続ける理由も無かったのです。
何となく惰性で働いていた私はいきなり大きな岐路に立たされた気がしました。
毎日同じ日々が過ぎ去って行く。気がついたら社会人5年目でした。
「メガネは面白い。この仕事は楽しい。」
仕事からの帰り道その言葉が頭から離れませんでした。
何度も熟慮した結果数ヶ月がたったある日私は一大決心をしました。
業界最大手のチェーン店を辞めることにしたのです。
当時の上司からは
「いつでも帰ってこい。」
と暖かいお言葉を頂きました。
そして遂に業界最小の個人店へ移りました。
検査、販売、加工。個人店へ移ってもやる仕事は今までと全く同じ。
でも無名のお店をお客様に選んでもらうのはどれだけ大変なことか。
誰でも知っている有名な大手とは立場が全く違いました。
小さな店だからこそいかに信頼していただくか
メガネを売るのではなく見える喜びをご提供すること。
それには事務的な対応では通用せずもっと人間味のある対応が必要でした。
想像以上に慌しくなりましたが以前と違い毎日が充実してきました。
小さいながらもみんなで一丸となり数年後2号店ができました。
先輩の2号店もすぐに軌道に乗りそして遂に今度は私に大きな役目が回ってきました。
次の3号店を任されることになったのです。
やっと自分もひとり立ち。
これからは誰にも頼らず自分ひとりで結果を出して行く。
小さくても一つの店を任され孤軍奮闘。
毎日が更に充実していきました。
ところが…私はその後大きな失敗を犯してしまうのです。
開店後たった3年足らず私の任された店は業績不振から撤退することになったのです。
資金不足。競合店の出店ラッシュ。様々な要因がありました。
でもそれは結局すべて言い訳。本当は自分に能力が無かっただけでした。
一軒店を潰してしまった。
会社にとんでもない損害を与えてしまった。
そして何よりお客様に大変なご迷惑を掛けてしまった。
大きな罪悪感で押し潰されそうになりながら本店へ戻るとすぐに社長から本店の店長を命じられました。
私は内心思いました。
「今のままの自分ではダメだ。店長の器ではない。まして本店の店長なんて務まるはずがない。」
それからは評判のメガネ店があると聞けば他府県でも訪ね歩き見学しました。
そんな中、ホームページでたまたま見つけた埼玉の眼鏡店。
ページを読めば読むほど
この人はスゴイ。
それが業界ナンバーワンの眼鏡フィッター横田流フィッティング術の横田進先生でした。
先生は徹底した技術至上主義。
値引き販売など一切せず
他府県からも多くのお客様を集めていました。
何としてもこの人から技術を学びたい。
いても立ってもいられず埼玉へ出かけました。
「こんなに遠くから勉強しに来た人は初めてだよ。」
先生は暖かく迎えてくれました。
ここで、自分が今までいかに未熟だったかを思い知るのです。
そして、この業界には大いなる矛盾や問題点があること。
取り組まなければならないことがたくさんあること。
数々のカルチャーショックを受けそれからしばらく眠れない日々が続きました。
自分は人生で何をなすべきか?
何のために生れてきたのか?
これまで経験して来たこと、失敗、出会い、起こったことすべてに意味がある。
最後に行き着いた答えがただの“メガネ屋”ではなく”メガネ合わせ屋”になることでした。
オンリーワンになること。
そしてエッジの効いた魅力ある店を実現させること。
その後は様々なスキルを自分にインストールしていきました。
横田流フィッティング術、
認定眼鏡士、
キャリアグラスアドバイザー、
パーソナルカラーアナリスト、
バランス美学、
ハンドメイド眼鏡、
メンタルヘルス、
コミュニケーショントレーニング。
そしてそこではたくさんの方々に出会いました。
美容業界の方々が集まる勉強会で一人のメイクアーティストに出会いました。
彼女との会話の中でメガネとメイクはどちらも目元を美しくするためのもの
同じ方向を目指していると気づきました。
「将来、メガネとメイクでコラボレーションができたらいいですね。」
それからというもの私はメガネを視力矯正具としてだけでなく人の魅力を開花させる重要なアイテムだと考えることが益々強くなりました。
それから毎日毎日、お店を潰した失敗を挽回したい気持ちに追い立てられるように働きました。
その話が現実味を帯びてきたのは2007年の終わりごろでした。
人口が増加した三田市ニュータウンの中心街にこれまでにない本格的な眼鏡セレクトショップを出店すると言う計画です。
今度は前回と規模が違う。二度目の失敗は絶対に許されない。
その全権を自分が任されている。
綿密な計画を立て何度もシミュレーションしました。
そして2009年4月ついにファッションと技術を融合した本格志向の眼鏡セレクトショップグラスフィッターササダをオープンさせました。
一般的な眼鏡店とは全く違う商品構成。メガネ屋ではなく「メガネ合わせ屋」。
でも、それを一般に理解して頂くのは容易なことではありませんでした。
決して順調とは言えない日々が続きました。
そんなある日、ご遠方から一人の女性客が来られました。
お客様は強度近視で見え心地も掛け心地にもそして何より外見に悩んでおいででした。
そのお客様には大変喜んで頂きましたが
お帰り際に言われた一言に私は衝撃を受けました。
「メガネを掛けると言う事は女性である事を諦める事だと思っていました。」
女性が抱えるお悩みの深さを思い知りました。
それからは強度近視でも美しく見えるには?
ということに取り組んで行きました。
様々な波を乗り越え2011年にメイクアーティストさんやスタイリストさん、カメラマンらと共に「メガネ美人花計画」をスタート。
そして2012年、横田流フィッティング術において全国初のゴールドフィッターに認定されました。
大丸梅田店で開催された職人展イベント「日本のものあわせ」にも創作眼鏡職人として出展。
そして2014年12月にはインディヴィジュアル遠近両用レンズHOYALUX.Msiの販売枚数で全国1位となりました。
ご遠方からのお客様が増加したことを機に2015年からはご予約優先制を導入するに至りました。
まだまだ私たちにできることには限界があり技術も知識も発展途上ですがグラスフィッターササダを選んで下さったお客様が様々なお悩みから解放されその後の人生を明るく歩んでおられることを確認できた時が最高の幸せです。
そして今、私はこの仕事が大好きです。
私たちの使命は美しいアイウェアたちと素敵なお客様を結び付けていくこと。
アイウェアで自信を持った人をつくり日本を元気にしていくことです。
少々長い文章ですが最後までお読み頂きありがとうございました。
あなた様にお会いできる日を楽しみにお待ちしております。
GLASS Fitter SASADA 徳永裕司